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スピンオフ2回目 ヒトとイヌはネアンデルタール人を絶滅させたの?

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スピンオフ2回目 ヒトとイヌはネアンデルタール人を絶滅させたの? Fumio Nagasaka and Rimi Hashizume

著作権の表記

使用した音楽素材の著作権

BGM:hitoshi by Senses Circuit, https://www.senses-circuit.com から以下の曲を使用しています

  • ジングル:ジングル:EDM風 ジングル・アイキャッチ by ambience

研究の概要

パット・シップマンは、現在ペン・ステート・ザ・リベラル・アーツ大学の人類学特任教授です。1977年にNew York UniversityでPh.D.を取得しています。

  • https://anth.la.psu.edu/people/pls10

パットによれば、古くからの生態系がある地域に対しては、進出してから数万年から数千年程度の時間経過を経た生物であっても侵入生物(invader)と言えるのです。なぜなら、侵入以前の生態系がどの程度古くから安定的だったのか、という相対的な年代の問題だからです。そのパットが、本書のタイトルの通り「The Invaders」とTheを付けて複数形で指摘するのは、ヒト(現生人類)とイヌです。

ホモ・サピエンス・イダルトゥから80万年前に分科したネアンデルタール人は、骨格標本から推測する限り、1日あたりエネルギー代謝量が現代人より10~15%高いと推測されます。このため、現生人類であるホモ・サピエンス・サピエンスに比べると寒さに弱かったとみられています。この体質のお陰で、ネアンデルタール人はいったんユーラシア全域に広がったものの、氷河期に入るとヨーロッパの地中海沿岸の温暖な地域に集住した可能性が高いとされます。これは彼らの石器インダストリーの痕跡が残る洞窟や遺構などから証拠付けられています。次の問題は「そこにいつまで居たか?」です。

従来の定説ではネアンデルタール人の滅びた時期を約2万5000年~2万年前としていました。この場合は、現生人類がユーラシア大陸に進出した時期を6万年前、地中海沿岸に進出したのが4万年前と仮定すると2万年くらいの共存期間があったことになります。この間に、混血や分断によるコロニーの小規模化などの複合的要因で徐々にネアンデルタール人が劣勢になり消滅したというシナリオが考えられてきました。

パットの主張は2段階に従来の定説を否定しています。まず、ネアンデルタール人が滅びた時期は約4万年前である、というのが第1の主張です。その場合、現生人類と遭遇して、たかだか1万年~5000年に満たない短期間にネアンデルタール人たちが消滅してしまう理由を説明することになりますが、第2の主張が、本書のタイトルの通り「侵入動物:The Invaders」としてヒトとイヌを指摘しているのです。具体的には、ヒトがイヌと連携して、大型哺乳類(例えばマンモス)の狩猟を行うという効率的なシステムを持ち込んだため、食料確保で劣勢に回ったネアンデルタール人が短期間に滅亡に追いやられたというのが彼女の主張です。

パットはこれを新規発見ではなく、既存資料の見直しで主張しています。すなわち、従来の年代測定では、試料の取り扱いが不完全であった点を指摘しています。例えば、現代の研究室内の空気やチリ、研究者の不注意のための接触などで、試料表面の炭素C14同位体は増加します。この結果、C14同位体を使った年代計測では実際より資料が新しく測定されてしまう問題を起こします。

もう一つのパットの着眼点は、試料を発掘した地層の精密なマーカーとの比較です。ここでの調査対象年代は、海洋酸素同位体ステージ(Marine oxygen Isotope Stage, MIS)でいうとMIS3にあたります。これは6万年前から2万4000年前までを意味する年代です。この時期は氷河期にあたり、ヨーロッパ全土はかなり寒冷でした。その中で特に時期を限定できるのが2つのマーカーです。

そのうちの1つは、HE4と呼ばれる4回目のハインリッヒイベント(発見者のHartmut Heinrichの名前に由来する)です。ハインリッヒイベントを誘発する原因は現在も論争が続いていますが、HEとは、氷河期に特有の数十年という短い期間の急速な気候変動のことです。

  • https://www.natureasia.com/ja-jp/nature/highlights/83308

パットに好都合であったのはHE4がちょうど4万年前頃に発生していることでした。これまでに多数発見されているネアンデルタール人の遺跡がHE4の前なのか後なのかを検証する上で、有用なマーカーであったのです。

パットが利用した2つ目のマーカーは火山の噴火による降灰です。これは約3万9300年前に現在でいうナポリ近郊にあった火山が大噴火し、カンパニアン・イグニンブライト(CI)という特有の火山灰が、中部と東部ヨーロッパに灰が降り注ぎました。従ってネアンデルタール人の痕跡が、この降灰の後にも残っているかどうかは、彼らの生存期間を知るため有用ですが、既知のネアンデルタール人の痕跡に関しては、CIの降灰層の下でした。

このようにパットは、C14同位体を使った試料の精密な再検証と、既に発見されていた遺跡と年代推計を使ってネアンデルタール人が滅亡した時期をほぼ正確に指摘できたのです。

第2の主張である「イヌとヒト」が共同して狩りを行ったという点については、それを証拠付ける先行研究、イヌの祖先とされる標本の数およびDNA分析結果などが少ないため、前半ほどの説得力はなく、パット自身も、現在時点での有望な仮説として示している印象を受けました。

  • https://www.hup.harvard.edu/catalog.php?isbn=9780674975415

とはいえ、パット・シップマンのこのシナリオは非常に魅力的です。さらに多くの発掘成果が登場し、定説が生まれるのが楽しみです。